現在では当たり前のように飲んでいるコーヒーですが、その歴史は古く、普及するまでには紆余曲折ありました。しかも、始まりは曖昧で伝説として伝わっているため、未だ謎が多いという点が魅力的でもあります。今回は、コーヒーが世界や日本に普及するまでの歴史を順に辿っていきたいと思います。
目次
コーヒーの始まりはいつ?
まずはコーヒーの起源を探ってみましょう。実は正確なことは分かっておらず伝説とされていますが、2つの話が有力として現代に伝わっています。
コーヒー誕生の2つの伝説
9世紀のエチオピアから始まった説
9世紀頃、アビシニアという現在のエチオピアに、カルディという名のヤギ飼いがいました。あるとき、彼はヤギがとある木の実を食べたときだけ騒がしくなることに気がつき、不思議に思います。
このことを修道院の院長へ伝えると院長も興味を持ち、自身が実験台として木の実を食べてみることにしたのです。さすがに生では食べることができず、茹でて飲んでみると、気分がすぐれ興奮に近い状態となりました。
この魔法のような現象に驚き、修道僧たちにも飲ませてみることにします。すると、普段は儀式中に居眠りをしている彼らが、眠ることなく仕事に励むことができたのです。
このことが噂で広まり、『眠らない修道院』として有名になったのと同時に、この木が『魔法の木』として人々が実を求めるようになりました。
これが現在のコーヒーノキ、そしてコーヒー豆といわれ、コーヒーの起源の最有力でもあります。
15世紀のアデンから始まった説
次は、コーヒーを“飲料”として飲みはじめた起源とされる伝説です。
話はアデンの聖者であったシーク・ゲマレディンが、1454年頃にアビシニアへ旅をすることから始まります。この旅行中にコーヒーの効能についての情報が耳に入り、帰国後に体調を崩した際、コーヒーを試しに飲んでみることにしました。
このときアデンにはコーヒーがなかったので、アビシニアからわざわざ取り寄せます。そしてコーヒーを飲んでみると、体調が回復しただけでなく、眠気が覚めることにも気がつきました。その後、シークは修道僧たちにコーヒーを飲むことをすすめました。
これがきっかけで、「“飲料”としてコーヒーが広まった」とされています。
13世紀のモカの話は逸話とされている
13世紀頃、イエメンのモカでイスラム神秘主義修道者のシェーク・オマールが、「王女に恋心を抱いた」というありもしない罪を着せられ、追放される事件が起きます。彼は食べるものもないまま山中をさまよう羽目となりました。
そのとき1羽の鳥が赤い実をついばんでいるのをみつけ、その鳥が陽気にさえずっているように見えたのです。理が非でも何かをお腹に入れたかったオマールは、その赤い実を煮出して飲み、良い香りと独特の味から疲れが消えるのを感じました。
無事に回復したオマールは、その実を使って病人を助け、その功績が認められて罪が許されることとなり、再び聖者としてあがめられたという伝説です。
しかし、モカの山中にコーヒーノキがあったことに信憑性がなく、モカのコーヒーが発展してから作られたのではないか、といわれています。
コーヒーが文献に登場したのは9世紀~10世紀頃
コーヒーが文献に登場したのは『医学集成』という本のなかで、900年頃のものとされています。この本を書いたのはアラビア人の医学者ラーゼスで、弟子が編集して完成しました。
本のなかでは、「コーヒーの種を煮出して患者に飲ませていた」との記述があり、当時はコーヒーを『バンカム』と呼んでいたそうです。ラーゼスはコーヒーの効能には利尿作用や消化、強心などがあるとし、臨床結果もしっかりと残されています。
その後、イスラムの医師アヴィセンナも同様の文献を残していて、コーヒーは飲み物としてだけではなく、医学的にも活用され薬として扱われていたことがわかります。
コーヒーが世界に普及するまでの歴史の流れ
歴史が古いトルココーヒー
16世紀に入るとコーヒーはトルコをはじめ、エジプト、イラン、シリアなどさまざまな国へ伝来しました。トルコへは皇帝にコーヒー豆が献上されたことで普及しましたが、「豆を砕く」という新しい方法で飲まれ、これがトルココーヒーの原型となっています。
そして1554年、現在のイスタンブールであるコンスタンティノープルに、世界で初めてのコーヒーハウスが誕生します。シェムジとヘケムという2人がそれぞれに店を出し、どちらの店も装飾などにこだわったことから「居心地が良い」と支持を得て、トルコの社交の場として人気を博しました。
ここからトルコではコーヒーハウスが次第に増えていき、官廷の役人や他国の旅人などが訪れるようになり、トルココーヒーが根強いものとなったのです。
ヨーロッパにコーヒーハウスが誕生
ヨーロッパではイタリアのベネチアにコーヒーが伝わる
1615年に、ベネチアの商人がコーヒーを自国へ持ち帰ってきたことにより、西ヨーロッパに普及していくこととなります。コーヒーの効能とその豊かな香りが人気となり、瞬く間にヨーロッパ全土でコーヒーハウスがオープンしました。
イタリアとイギリスでコーヒーハウスが大流行
ヨーロッパ初のコーヒーハウスは、イタリアのベネチアに1645年頃誕生したとされていますが、同時期にイギリスのオックスフォードにもコーヒーハウスが誕生します。
イタリアはどちらかというとコーヒーを販売する場所としての役割が大きかったのですが、イギリスでは喫茶店とクラブを合わせたようなくつろげる場として、登場しています。
この頃はまだコーヒーは高価なものだったため、コーヒーハウスへ通えるのは身分が高く、お金を持っている人たちのみでした。そのため、コーヒーハウスは紳士淑女が集まる社交場として、爆発的な人気を呼ぶのです。
フランスでドリップ式が考案される
フランスには1644年、マルセイユに初めて伝来されたとしていますが、普及したのは1669年、ルイ14世に献上されてからといわれています。1671年にはフランス最初のコーヒーハウスが誕生し、やはりここでも上流階級で親しまれる飲み物として広まっていました。
そんなフランスはコーヒーの発展に大きな貢献をしていて、1763年にドリップ式を初めて考案した国なのです。しかも考案したのはただのブリキ職人で、袋にコーヒーの粉を入れてポットに垂らし、熱湯を注いで浸透させるという器具を発明しました。
これをきっかけにコーヒーの飲み方の基盤ができたので、コーヒーの歴史のなかでも大革命と言って過言はありません。
アメリカにコーヒーが伝わる
初めての伝来は探検家から?
アメリカへのコーヒーの伝来も諸説あるのですが、初めてアメリカに持ち込まれたのは1607年、イギリスのキャプテン・ジョン・スミスという探検家だったのではないかといわれています。
トルコを訪れたときにコーヒーを気に入った彼は、植民団を連れ現在のバージニア州へ上陸した際、コーヒーを持ち込んで飲んでいたそうです。これがアメリカ大陸に、コーヒーが伝わった始まりというのがひとつの説となっています。
オランダかイギリスから持ち込まれた?
アメリカへの伝来は1640年頃オランダからという説と、1670年頃のイギリスからという説もあります。
アメリカで初めてコーヒーの文献が見つかるのは1668年で、ニューヨークでは煎った豆から作られ、砂糖やハチミツで甘さを加えたうえで、シナモンで香り付けするという方法で飲まれていたようです。
アメリカンコーヒーは和製英語なので注意!
日本ではアメリカンコーヒーがメジャーですが、これは和製英語でアメリカでは通じません。アメリカで注文する場合は、ウィークコーヒーと頼むのが1番近いでしょう。
アメリカンとは浅煎りのコーヒー豆を使用し、お湯を多めで抽出したコーヒーを指します。誕生した話も諸説ありますが、アメリカを開拓していたヨーロッパ人が、コーヒーを飲む器具などの不足から、必然的に薄いコーヒーとなったというのが有力です。
ブラジルの奴隷制度に見るコーヒーの歴史
コーヒーを語るうえで、外せないのがブラジルです。現在コーヒー大国として君臨していますが、それには悲しい時代背景があります。
ブラジルにコーヒー伝来
ブラジルにコーヒーが初めて伝わったのは18世紀頃といわれ、フランシス・デ・メロ・パルヘッタがコーヒーの苗を持ち込んで、家庭用に栽培を始めたのがきっかけだったようです。これが広まり、農園を作ることとなりました。
コーヒーを栽培するための奴隷
コーヒーを栽培していくのには広大な大地が必要で、それにあわせて人も必要でした。このころブラジルには奴隷制度が根強くあり、奴隷を使ってコーヒーの栽培が始まったのです。
ブラジルは環境的にもコーヒーの栽培に適していて、コーヒー林はよく育ちました。そのおかげで良いコーヒーが大量に、そして奴隷を使っていることから安く作ることができ、ブラジルをコーヒー大国へと押し上げていきます。
消費はブラジルだけにとどまらず、他国への輸出にも成功しました。コーヒー農園の所有者はこの成功により、多大な資産を築きましたが、奴隷はますます過酷な環境で働かなければいけなくなっていくのです。
1888年には奴隷制度が廃止され、このようなこともなくなりましたが、ブラジルのコーヒー普及は、奴隷あってのものだったということは忘れてはいけません。
日本におけるコーヒーの歴史は?
コーヒーが初めて持ち込まれたのは江戸時代の長崎
これだけ世界ではコーヒーの歴史が動いていましたが、日本に伝来するのは江戸時代、1700年以降ではないかとされています。場所は長崎の出島で、オランダの商人が持ち込んだといわれています。
また、蘭学者たちがコーヒーを賞味したという話も残っていますが、鎖国政策も相まって民衆に普及することはありませんでした。
コーヒーが発展しはじめたのは明治以降
ついに日本にもコーヒーハウス誕生!
明治の文明開化に合わせ、東京を中心にコーヒーが普及します。西洋御料理店というものが誕生し、メニューにコーヒーがラインナップされていたことが大きかったようです。
そしていよいよ1888年、日本で最初のコーヒーハウスとなる、『可否茶館(かひいちゃかん)』が東京の上野黒門町に誕生します。日本では喫茶店と呼ばれ、1杯一銭五厘、牛乳を入れたものは二銭という値段で提供しました。
この喫茶店は3年ほどで閉店してしまうのですが、日本の喫茶店の普及に大きく貢献していることは言うまでもないでしょう。
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誰でも飲めるコーヒーへ
大正に入るとグルメ志向が広まり、コーヒー愛好家の会なども誕生します。しかしコーヒーは高価なものだったため、一般人への普及はいまいちでした。
そんなとき、東京の銀座に『カフェ パウリスタ』という喫茶店ができ、一般人でも立ち寄りやすい雰囲気と、手が出しやすい価格帯のコーヒーを提供し、たちまち誰でも飲みやすいものとなったのです。
その後第二次世界大戦で一度コーヒーは衰退しますが、戦争が終わると人気を盛り返し不動のものとなります。
インスタントコーヒーを発明したのは日本人!
手軽にコーヒーを飲みたいときに欠かせないのがインスタントコーヒーですが、発明したのはなんと日本人です。
1899年、シカゴに在住していた科学者の加藤サリトルが、“溶けるコーヒー”として発明したのがきっかけで、軍用飲料などとしても大変重宝されていました。
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歴史を知ればコーヒーがもっとおいしくなる
コーヒーが当たり前のように飲まれるまでには、長い歴史があることが分かりました。さまざまな試行錯誤が繰り広げられ、今のようなおいしい飲み方ができるのですね。
そして、日本でのコーヒーの歴史は、世界と比べるとまだまだ浅いことも分かりました。歴史の重みを感じながらコーヒーを飲めば、さらに味わい深いものになるかもしれませんよ。